学生の頃、シェアハウスに住んでてよかったと思う理由

  • 2021-08-15
  • 2021-08-17
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学生時代、大学4年〜博士課程3年の間、ルームシェアをしていた。

ルームシェア歴

  1. 大学4年〜大学院2年の5月(M2)・・・同級生と2人で目黒区のボロアパート2K。
  2. 大学院2年の6月・・・ドイツ・シュトュットュガルト留学。学生寮に6ヶ月。秋は、窓開けると
  3. 博士課程1年生(D1)の中・・・同級生が卒業したので、隣のラボの一個上の先輩(D2)のところへ居候。世田谷のまあまあいいところ。ただしワンルーム。
  4. 博士課程1年の途中・・・再び、ドイツ。3ヶ月。当時お付き合いしていた彼女のところへ居候。
  5. 博士課程2年の途中〜3年・・・大田区のシェアハウス(今はなき、石川台のティーチャーズロッジ)。
  6. 就職して、2年後。シェアハウス立ち上げ、3年ほど在住、のちに離れて、退去。運営のみ携わり、今に至る。

という感じで、ルームシェア歴は長い。悪いこともあったが、いいこともあった。

特に、5のシェアハウスでの生活は、よかった。良すぎて、自分でも作ってしまった。

当時いたシェアハウスは、50人くらい住んでるような大きなところで、とにかく色んな年齢、人種、職業がごった煮で、まさに人種のるつぼだった。

フリーター、フォークリフト荷役、図書館司書、先生、学生、SE、スタイリスト、デザイナー、モデル、外資系大手銀行員、キャビンアテンダント、麻布で水商売してるお姉さま、USネイビー、あと何してめし食ってるかわからない人たち。勤め先に内緒で住んでる人とか、けっこういた気がする。

人種も、インド人、ブラジル人、アメリカ人、ドイツ人、カナダ人、スイス人、シエラレオネ人、、、覚えているだけでこれくらい。日本人も北から南までいろいろな地方から来てた。

僕自身は、東京といえでも調布という、都会とも田舎とも言えない中途半端なところの生まれだが、みんなからするとだいぶシティボーイ扱いされた。

博士課程で、将来どうなるかわからないなか、黙々研究していた自分としては、これだけ多様な人達の存在はありがたかった。

地元帰れば、同級生たちが、すでに就職・結婚して、中には、子供・小学生で、温かい家庭を作っている。

というのを横目に、将来に対する保証がまったくない中で、学問する孤独な日々は、ほとんど自分との戦いになる。

実験が深夜までかかることも多く、家に変えると、ちょうど水商売を終えたお姉さまから、ビールとつまみもらって、次の日が早いわけでもない、フリーターと一緒に飲んだくれて、気づけば共有スペースのソファーで寝てしまい、明け方、黒人のお掃除おじさんの作業音で起こされる。そんなこともしばしばだった。

そういうのがあって、次の日は、切り替えて、普通に研究する日々を送れたと思う。

十人十色というが、本当にいろいろな人生があって、そのうちの一つを自分が選んでいるという感覚が得られるというのは、何者にも変えがたいものがある。

ふと考えると、この日本で、普通に学校に通って、就職してというプロセスを共にする仲間はいるが、本当に十人十色といえる状況ってあるか?って、疑問に思う。

同じような地域で生まれ、同じような学校に通い、同じような習い事、同じような先生、同じような会社にいって、同じような家庭を持つことが、望まれている空気感は、そこには皆無だった。