キムさんとやまけんと3人で、赤坂にあったボンジョッキーというスペインバルで待ち合わせた。
キムさんは、マッコリとキムチの似合う、笑顔の素敵な、もろ韓国人のおっさんだった。
でも、笑顔の奥で、確実にこっちの表情を伺いまくっていた。
それのせいで、緊張感が拭えず、僕はうまい笑顔がつくれなかった。
警戒心ミエミエの状態。やまけんもしかり。
それを見透かされているのは、十分わかっていたが、経験も胆力も桁違いの人と対峙していた。
キムさん、声もでかく、愛想もよくて、挨拶と同時に、超・超・超、力強く握手された。
とりあえず、ビールで乾杯。
やまけんは、ビール一杯飲むと、ものの数分でキムさんと意気投合。これは、正直予想通り。やまけんは何しろ酒に弱い。
とりあえず、キムさんの話を聞くことに。
どうやら、キムさんは、ホテルに雇われ、ホテル付属のカジノで働いているらしい。おそらくは、いわゆるジャンケットというやつなのかなと。
普段は、どうやら、日本の社長さんたちを捕まえて、営業をかけて、ハイヤーで韓国へ飛ばすのが仕事らしい。
当時のガラケーに、200人ほど顧客の電話番号が入っていて、毎日、福岡空港で社長さんを待ち構る。
「顔と名前は全てアタマに入っている。」らしい。
何この人?面白いじゃない。でも、めっちゃ怖いじゃない。やまけんも同じことを思っていたはず。
なんで。そんな人がうちのシェアハウスへ??めっちゃ金あるんでないの?何か悪いことに利用されるのではないか?と疑心暗鬼は最高潮になり、さらに根掘り葉掘り過去を聞いてみる。
キムさんは、ホテルに雇われる前は、国会議員秘書やってたらしい。
どうして、国会議員秘書からカジノなの?と。
韓国のカジノは、8割国営で2割私営。私営といえども、国の認可がおりても、立ち上げには政治家が関わってくるらしく、キムさんは、あるホテルのカジノの立ち上げに関わっていたそうで、あくる日にヘッドハンティングに合い、転職したと。
嘘ついてる感じもない。
というか、聞いたことない話ばっか、出てくるので、まあそりゃ「まじすか〜」「すげ〜」とか、盛り上がってしまう若干30歳。30ってまだ若いんだなって。
ビール生3杯くらい行った時点で、やまけんなんか、キムさんに教わった韓国語「アイゴ〜」を連呼してた。
「アイゴー」っていうのは、韓国語の感嘆詞で、喜怒哀楽やその間のエモい感情を表すときに使う言葉らしく、とにかく大変便利な韓国語。
やまけんは、ひたすら「アイゴー」を連呼している限り、キムさんの手にひらで転がされ続けるだけの存在に。
ここはおれがしっかりせんといかん、と。心に決め。
逆に、まだ何か裏があるんじゃないかと。。。なぜ立ち上げて僕らのまだ家具もそろってない、おんぼろシェアハウスに住むのかと。。。。とけない警戒心を隠すこともできず、終始腕を組んでいた。
ワインをさらに、2本ほど明けただろうか、とりあえず、「共同運営者と相談して、キムさんの入居の可否を連絡します」
決定は、共同運営者のikkoさんと相談して決めることにして、、、というか酔っ払って、正常な判断ができなかったというだけの話だったりするわけで。。。
結果。キムさんはうちに入居することになった。
ikkoさんと話した結果。受け入れた理由は、
1.当時韓国は日本より物価が安いので、キムさんは経費を節約したい。というパクさんの話を信じる。
おそらく取っ払いの滞在費から、ふところにお金を入れたかったんだろう。
2.一人で寂しくくらすより、日本の若者と触れ合える場所は、魅力。
まちがいなく、キムさんは、寂しがり。あいごーとか連呼して、やまけんと意気投合してるのは、
嘘偽りない目をしてた。むしろ、ぼくが疑いの目で見るのを悲しい面持ちで見てたように思う。
3.シェアハウスの運営を早く黒字化したかった。
という以上の3点。
ぱくさんは、とりあえず5ヶ月分の家賃を支払い、何も問題なく入居してもらった。
しょっちゅう泥酔して帰ってきて、ただサラリーマンのおっさんだった。
時々僕らが庭で、BBQすると、これが韓国の真の辛ラーメンだ!といって、大量の炭水化物を提供してくれたりした。
退去してからも、やまけんは時々会ってたらしい、
僕の方には、カジノの宣伝LINEとか時々きて、懐かしい思いをした。
今でも辛ラーメン見ると、キムさんのことを思い出す。